日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

春待ちと超越と実存と道元おかわり

今週3日目のお休みかつ快晴でウキウキと浮足立つような1日だった。風がもっと弱くてあたたかだったら公園に行って読書をしたのに、そこはまだびゅうびゅうと冬の北風。早く春にならないかな。沁みるような冬の冷たさもたまにならいいものだが、まるく柔らかな春の空気は年中あってくれていい。空の色の変化を眺めながら、何時間でも歩きたい。

陽射しのうるわしい図書館にて、舟をこぎこぎしつつ読了。面白かった。すべては無常であるという釈迦の気付きからはじまった仏教の思想が、インド、中国、日本、それぞれの国それぞれの時代でどのように伝わり、混ざり合い、変わっていったのか、「無常」の変遷を辿っていく。面白くなってきやがったぜ、と思っていると次の章に進んでしまうもどかしい感じ、なんだかなーなどと思っていたら、あとがきに「(10年以上やっていた講義の)ダイジェストのそのまたダイジェスト」とあって、残念ながら納得。特に知識ゼロで読んだ中国仏教の章と、最終章の親鸞道元の話だけ300ページずつ盛って欲しかった。面白いからこそ食い足りなかった。

というわけで、おかわり。あんまり同じジャンルと作者に偏りたくないと思いつつ、結局手に取ってしまう。悩ましいような楽しいような。

わからない止められない

昨日の期待を全力で裏切り、丸善くんまさかの爆下げで朝からワロタである。……何をそんなに下げることがあるんだよ!いや、10万以下の銘柄は優待目当てでのみ購入、そのあとは永久にホールドを基本のマイルールとしているので、3万円台の丸善くんがどうこうなって今すぐ痛いという話ではないのだが、これはなんかちょっと、なんだかなあという気持ち。安い銘柄は謎ムーブしがち。とりあえず様子見かなあ。優待確定月だし、来週は当たり前に上がるかもわからん。もうなんもわからん。

今日の読書は、出勤前の30分と昼休憩の10分を使って『超越と実存』『聖と呪力の人類学』。会社の休憩室のテレビ音声や雑音を消すために最近、Tideのポモドーロタイマーを使っている。AmazonMusicで適当にインストを流すのでもいいのだが、このアプリの自然音がすごく好きで最近は毎日、隙あらば起動。『海』『篝火』『麦の波』『時計』、曲なら『瞑想』と『プロローグ』。とても落ち着く。音楽や環境音がちょっとだけあった方が無音よりも集中できる派である。

読書環境についての話は、もっとしてみたいし聞いてみたい。

読了寸前の『超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―』、面白いのだが「そこもっと詳しく」となることがよくあるので改めて沼。仏教相手に「そこもっと詳しく」を続ける気か?怖……。実際、止め時を完全に見失っているが。コワ~……。

読みたい本が多すぎる

日中、読む暇が作れなかったので今、保有銘柄である丸善の中期計画を読んでいる。かなりいい内容だと思う。明日、365あたりまで戻ってくれると嬉しいが、良くも悪くも動かない銘柄なので、期待しすぎずに見守りたい。あまり気分を左右されないようにと日頃思ってはいるものの、上がってくれれば素直に嬉しい。今日はささやかながら配当金や優待券が届いたりもしたので、ちょっと久しぶりに株が楽しかったな。株というかお金関係の本を読む時間も作れるといいのだが、どうも優先順位を低くしてしまう。手元にあるやつだと、超有名どころ(たぶん)で『デイトレード』はよかったな。デイトレはやってないしやらないが、投資スタイルを問わず株式を売り買いする上での心構えについての本なので、はじめたてくらいの頃に読んでおいてよかったと今、振り返っても思う。

今日の読書は引き続き『超越と実存』『聖と呪力の人類学』。『聖と~』が思ってたよりだいぶ仏教だった。仏教+仏教以外の本で並行読みするぞいとか言ったそばから。しまったな。すでに面白いから全然読むけども。佐々木宏幹という人の本ははじめてなのだが、最近読んだものの中では断トツで文章が上手く、めちゃくちゃ読みやすい。楽しいわねえ。

眼精疲労とロマンシング

ブログだが、書きたい時に書きに来るスタイルよりも、日記の方が向いているのかもしれない。まあどのみち書きたくないと思ったら書かない。無理やりどうこうすることではない。が、こうして編集画面を開くと何かしらの文章は出てくるものである。とりあえず、毎日ここに来る習慣をつけてみよう。

昨夜から頭痛が酷くて、ロキソニンSを飲んで寝たにもかかわらずまだちょっとこめかみがズキズキする。気圧の変化にやられているのか、単なる眼精疲労か。ほとんど常に目を使っているという自覚はある。目薬だけでは対応しきれていないことも。「目で何も追っていない時間」が少なすぎると思わなくもないが、隙あらばTwitterYouTube、ブログ、本、アマプラビデオ。昨日たまたま見つけた懐かしいゲームのやりこみ動画を、今朝もずっと流し続けている。アイスソードって3本も持てる物だったんだ……。

ロマンシングサ・ガ』はリメイク作の『ミンストレルソング』も好きだが、やはりオリジナルのSFC版が最&高。子供の頃、夢中になって遊んだなあ。

出勤してからも細かい文字を追う作業、休憩時間は読書、帰宅後は動画の続きを眺めながら食事と洗い物、今はこうしてブログを書いており、本当に1日中、目を忙しく使っている。やはりラジオやオーディオブックなども選択肢に入れて、目を使わない娯楽についてもっと真剣に考えるべきかもしれない。とか言いながら本を手に取ってしまうわけだが。

昨日ブックオフにて購入。状態がやや悪いせいかずいぶん安かったが、パラパラ捲ってみただけでも掘り出し物の予感。ワクワクが止まらない。

先月あたりからやれるようになりたいと言い続けている並行読みについては、どうも同じジャンルの本すぎると難しくなるらしい。とりあえず仏教+仏教以外の何か、でチャレンジし続けてみようと思う。

時間との付き合い方、自分との付き合い方

遅番多めの6連勤とかいうバカのシフトを平静に乗り切るなら、「これは6連勤などではなく、3連勤の後に3連勤が続いただけなのだ」と強く思い込むのがいい。間に挟まるはずの休日は今ちょっと反抗期で家出してるだけだからそのうち帰ってくる、6日くらいで。だからこれは6連勤ではない。3日目の仕事を終えたら、連勤が終わった!(まだ終わってない)明日は休みだ!(まだ休みはない)という顔をして、コンビニやデパ地下へウキウキと赴き、自分へのご褒美にちょっと高めのお菓子を買ったりする。与えられたものとは別に、自分の中に区切りを設けるということ。「特に意味もなく6日間出勤しなくてはいけない」という理不尽は、理不尽だがもはや動かしようもない。そして理不尽とは、少なくとも私にとっては多忙をも超えるストレスである。だから真正面からやりあってはいけないのだ。

とはいえ6日分の疲れが身体に溜まるのはどうしようもない。本日、6連勤からの2連休最終日。月に1度しかない連休ではあるが、天気が悪いのもあって遠出をする気持ちになれず、図書館やカフェや家でのんびりと過ごしている。

今月の読了本1冊目。「研究」といっても堅苦しいものではなく、孤独を愛したり、孤独に愛されてしまったりした9人(ニーチェショーペンハウアー、グレン・グルード、ピュリッツアーとハワード・ヒューズ、アミエル、モンテーニュとソローとプルースト)の人生を取り上げて、孤独について考えてみようといった内容である。面白かった。

 大切なのは、他人といかに穏便につきあうかということではなく、自分自身といかにつきあうかということである。他人とのつきあい方は、社会が集団生活を通して否応もなく教えてくれるはずである。しかし、自分自身といかにつきあい、孤独という避けがたい事実にいかに対処するかについては、だれも教えてくれはしない。それは自分ひとりで体験し、学ぶしかない。

 孤独をどう生きるか。

 人びとは孤独をどう生きたか。

私はというと、「他人とのつきあい」をその日その時、必死に凌ぎ切ろうとするような生き方で、「自分自身とのつきあい方」についても真剣に考えたことのない人生を長く続けてきてしまった。恥じ入るばかりである。そもそも、自分との関係を考えることは他人との関係を考えることでもあるはずで、どちらか片方だけ学ぶということはできないのだろうと思う。

こちらもそろそろ読み終わりそう。仏教の本ばかり捗るが、本当にそればかりにならないよう気を付けたい。

春の敗北と2月の節約生活

桜の季節はまだ先だが、桜フレーバーはもう盛り。無印では桜ラテを買い、今日はミスドで「桜もちっとドーナツ」を食べてきた。次はドトールでさくらラテを味わおう。コンビニやスーパーや近所の和菓子屋さんを覗けば、抹茶のデザートや桜餅が目に入る。嗚呼、春の甘味、このままでは食い倒れだ。節約と健康のためにおやつ代をゴリゴリ削減するぞ、と意気込んだそばからこれである。春である。仕方がないよね春だもの。

まあこれからのことはこれからとして、2月のおやつ削減は大成功と言ってよい。家計簿アプリZaim先生の記録によると、過去1年のおやつ代平均は2,088円、それが今月はなんと967円に収まってしまった。いやビビる。だが確かに、こんなにもおやつを食べないひと月は人生ではじめてくらいだったかも。ストレスも特に感じないし、さっさとやってみるべきだったなあ。お菓子を減らすなんて絶対に無理だとずっと思い込んでいた。

春の甘味に負ける可能性はかなり高いが、やってみればやれてしまうということが分かったのは大きい。今後に繋げていきたい。まあ春には負けると思うが……(積極的に負けに行こうとしている奴のセリフなんだよな最早)。

「舞い桜」、名付けも風流でよい
中に餡子が入っていてとても美味

さて、2月の家計簿〆。

  • 収入 ¥154,551
  • 支出 ¥106,299
  • 収支 ¥48,252

1月のクレカ(楽天pay)+2月の現金払い=2月の支出である。今月は火災保険5,000円と、Amazonプライム年会費5,900円の支払い月だったので、100,000超えの支出はやむなしだ。歯医者通いがはじまってしまったのもデカい。むしろよう抑えたと誉めてよい。それでいて趣味の外食に6,629円、カフェに5,070円としっかり使えているのもエラすぎる。どんどん誉めていく。生きてるだけで優勝。

収入については給料は何も変わらず、140,631円。ただ今月は年末調整の還付金が6,260円と、個別株の売却益が7,660円入ったのでこの金額になった。昇給は今年もないと先日、社長からお話があった。知ってた。会社の業績が上がらないのだから上がるわけがない。ただ、知ってても悲しいもんは悲しい。今月のように株の利益が少しでもあると幾分、見られた数字になるが、スイングトレードなんて毎月頼りにするようなものではない。悲しくなる。

新NISAに41,666円(+楽天ポイント1)積み立てて、残った6,586円は粛々と貯金。お疲れ様でした。

空から10億円くらい降ってこないかなあ。非課税でさあ。

壊れやすいから私たち

昨夜の菓子盆は雪の宿とたべっ子どうぶつ(チョコ)
そしてコーヒー、シュレーディンガー

お菓子の趣味が最近やたら渋い。ポテチの出番が激減した代わりに、味しらべハッピーターンより断然、味しらべ派)や海苔巻きおかきのような米菓を手に取りがちである。おかげでお菓子のストック籠がおばあちゃんちのそれ。まったく意識していないが、お菓子選びの最中にも健康志向が働いているのかもしれない。まあ美味しければなんだっていい。1日の摂取量を3分の1くらいに減らしはしたものの、仕事のあとの癒しであることに変わりはない。おばあちゃんち味(おばあちゃんちみ)のあるお菓子でオススメがあったら是非教えてください。

ところで写真の下にヌッと映っている本は、『生命とは何か』。言わずと知れたシュレーディンガーである。猫の日ということで再読をしてみた。ごめん嘘、猫の日は今思いついた。おととい読了した本の影響で、生命というものについてもう少しだけ考えてみたくなったのだ。

言うても何が書いてあるのか9割わからないのだが。こいついつも9割わかってねえじゃん?とそろそろお気づきの方もおられるかと思うがそっとしておいて欲しい。1割のエモを食って生きるタイプの変態なのである。ショーペンハウエルにしばかれそうな読書スタイルだな(『読書について』はいいぞ)。

そんなことより第6章、『秩序、無秩序、エントロピー』が好きだって話。すべての物質は、秩序ある状態から無秩序に向かって運動している。有名な「生物は負のエントロピーを食べて生きている」というやつである。

 生物体というものがはなはだ不思議にみえるのは、急速に崩壊してもはや自分の力では動けない「平衡」の状態になることを免れているからです。

 ……あらゆる過程、自称、出来事――何といってもかまいませんが、ひっくるめていえば自然界で進行しているありとあらゆることは、世界の中のそれが進行している部分のエントロピーが増大していることを意味しています。したがって生きている生物体は絶えずそのエントロピーを増大しています。……死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいてゆく傾向があります。

生物は、生命は、いずれ必ず迎えることとなる熱的死(エントロピー最大、無秩序の頂点に達すること)を拒むように生きている。代謝を繰り返し、何千億もの細胞の死を迎え、無秩序を排出して、新たに自分を作り直す。大きな死より先に小さく死ぬ、自然崩壊に先んじて自壊をし続ける(同時に生まれ続ける)、〈滅びの中の生成〉という在り方でもって私たちは生きている。

つまり私たちは端から、絶対的に堅牢で頑丈で強固な生命ではあり得ない。なんたって常にどっかが壊れている。フニャフニャの構造であるからこそエントロピーとかいう宇宙の大原則に、いつかは追い付かれるとしても抗いながら「ひとつの生命」をやっていけているのである。そういうワヤワヤしたところででないとやっていけない「私」とは一体どれほどのものだろうか?きっと「私」は、大きな大きな銀河より大きな川の流れの中に、ほんの一瞬だけ見えたようなあったような気がしないでもない一滴の粒である。そんなものは呼ぶ人やタイミングやなんやかんやで、「私」であったり「川」であったり、「水溜まりのどこか」になるときもあれば「単なる水」であったりすることもあるだろう。

そう頷けることは、私を少し楽な気持ちにさせてくれる。私は今日も、ネゲントロピーとほとんど分からない文章とおばあちゃんみたいな甘味を食って生きている。ええやん。