日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

今はこの街から / 読書メモ(5-4)

9月22日(金)

休日である。マンションの設備点検の立ち会いを終えてから、バスで駅前へと向かった。陽射しが強くて腕や背中をじりじり焼かれる。夕方以降はずいぶん涼しくなったが、日中は油断すると軽く汗をかいてしまう。早く着きすぎたので、タリーズで少し時間を潰した。おいもラテ、美味。

OIMO

スタバのフラペチーノなどは量が多すぎて途中で飽きてしまうのだが、タリーズのドリンクは私にはちょうどよい。スケジュールを手帳に書き込みながら、しばしくつろぐ。

22日は実家に帰るぞ、と先月から決めてあった。もう何年も行っていないお墓参りに、ようやく行く気になったのである。実家までは電車で片道1時間の距離、寝たきりになってしまった父の様子を見に行くため、というか両親に顔を見せるために、最近は月1のペースで帰っている。お墓参りにだって行こうと思えばいつだって行けた。だというのに、この日がたぶん5年以上ぶりのお墓参りになるのは、単なる薄情なのである。

両親に会うのも実を言うと億劫ではある。実家が苦手だ。実家とあの街を出てからの6年が、人生でいちばん楽しい。そうして「いちばん楽しい」を更新し続けているので、今現在が私にとっては最高である。実家の空気はいつだって停滞している。母はこの日、「あなたが保育園の頃がいちばんよかった」と30年以上も前のアルバムを開きながら口にした。介護疲れで心身弱っているせいもあったのではないかと思う。思うが、つらかった。つらかった、と書くことも少しつらいなと今、思う。だからあまり長々と書き残すことは自分のために止めておくが、母がそんなことをもらしたとき、父が「それを懐かしがるのは自分たちのような年寄りになってからだろう」と窘めるようなことを言ったのが、嬉しかったことは書いておく。私の態度(何も言えなかったのだ)に父なりに思うことがあっただろうか。分からないが、悲しませたかもしれず申し訳なく思う。父との距離は実家を出てからの方がむしら近い。母は難しい。母は長い間、私のほとんど唯一の味方だった(そう思い込んでいた)。こんな日が来るとは思ってもみなかった。

いい加減、本当につらくなってきたので、実家の話はここまでにしておく。

空がとても綺麗な1日で、帰りの電車の中では本を膝の上に置いたまま、ずっと空と海を眺めていた。海は太陽を照り返してキラキラと輝いていた。いつまでも見ていたくて、涙をこらえた。

フィッシュアンドチップスアンドビール

我が街に帰ると、駅前でイベントがはじまっていた。フィッシュ&チップスとビールを出店で買い、公園のベンチに座る。昼間の暑さはもうなくて、少し肌寒いくらいだった。少しづつ暮れてゆく街を眺めながら、サクサクのフライにかじりついた。フルーツビールからはほんのりとバナナのような甘い風味。美味しくて美しくて最高の気分になる。明日からまた頑張れる、と思った。それから、母の明日が今日よりも良き日であればいいと思った。

読書メモ(5-4)

読んでいる。

誰にも見えないものが見え、誰にも知り得ないことを知ることができる、お初ちゃんの力は他に替えの利かぬ強いもので、事実、周りの大人たちはとても頼りに思っている。と同時に、彼女がまだ16歳の女の子であるということが、とてもとても大切にされている、それがちゃんと伝わってくるし、お初ちゃんにも伝わっていると分かるのがよい。