日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

時間を見つける

習慣化するなんて無理だろうな、とずっと思っていた毎日の習慣が今ぱっと思いつくだけでも4つあるので、こんな社畜でもやってやれないことはないのだなあとしみじみ嬉しくなるのである。

毎朝、掃除ができると気持ちがいい。クイックルワイパーで床を撫で、テーブルや棚の上を布巾でサッと拭くだけだから、3分かかるかかからないかくらいの本当に簡単な掃除なのだけれど、このたった3分弱の、体力や頭を使うわけでもない作業時間を1日の中に設けることが、ずいぶんと長い間、難しかった。ものすごく面倒くさい、大儀なことのように思えてならなかった。

それもこれも、やりたいこと全部ルーチンに組み込んだら、暮らしがずいぶん楽になった。時間がなさすぎてなんにもできんと思い込んで、というか思い詰めていたが、実際、時間に余裕がないだけで時間がないわけではない。お金の節約がお金(支出)の把握からはじまるのと同じで、時間の使い方を見直すことが自由な時間ひいては自由な生活の発見に繋がる。毎日1時間、本を読むなんて絶対に無理だと思っていた。今、更にブログを読む時間と書く時間を捻出しようとしているところだが、きっとなんとかなっていくのだと思う。なんとかなるやろという気持ちで日々を重ねていけることも、嬉しいし、楽しい。

それにしても、ブログを読む時間が足りていない。時間に余裕がないことに変わりはないのである社畜だから。でもブログ楽しい。働いてる場合じゃない。悩ましいぜ。