日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

お味噌汁の豆腐のような豊かさ

 先日、料理をあまりしないはずの同僚に「おすすめのお味噌」について訊かれた。曰く「たまに豆腐の入ったちゃんとしたお味噌汁が飲みたくなるんだけど、いつも調理の面倒くささが勝っちゃうんだよね」、どの味噌を買うかも迷いどころで、かといって調べたり色々な種類を試したくなるほどの気持ちもなく、結局、まあいいやとなってしまう。ああ、わかるなあと頷きながら家の冷蔵庫に常備してある味噌のパッケージを思い浮かべた。毎日、目にしているはずの名前がなかなか出てこず、密かに困惑。これだから鳥頭は。

 私は、朝か夕かその両方か、ほとんど毎日お味噌汁を飲んでいる。不思議とお茶よりも身体があたたまる感じがするし、何より美味しい。ただ、お鍋で具材を煮、味噌を溶かして作るということを最近あまりしなくなった。お茶碗に味噌と白だしと乾燥わかめなどを入れ、お湯を注ぐだけの即席お味噌汁を作ることの方が多い。ケトルでお湯を沸かす間に材料を準備するだけでできてしまうのだから、このお手軽さに慣れてしまうと、なかなかお鍋と包丁には手が伸びなくなる。お味噌汁をちゃんと作るくらいのこと、大した手間も時間もかからないと分かっているのに、より楽な方を毎日選んでしまうのだ。

 先日も書いたことだが、私にはあまり時間がない。収入も少ないが休日が少ない。それでも毎日、本を開く時間(40分)をひねり出し、3冊の手帳それぞれに日々の記録をしたためて(朝10分と夜20分)、自炊をし(朝10分と夜20~30分)、ブログを書きたいと思っている。無駄な時間を削ぎ落していかなくては、やりたいことのすべては実行できない。だから妥協の利くところはどんどん妥協をしていく。「豆腐がないお味噌汁もちゃんと美味しいしぜんぜん飽きないから問題ないな」という風に。具材を切って火にかける時間はほんの数分程度だろうが、ノンストレスで捨てられる数分なのだ。料理の時間が(睡眠時間ほどではないにせよ)1日全体の時間に与える影響は大きいので、効率を良くしたいという気持ちが特に強い。同僚の気持ちとしてはもっとシンプルに「面倒くさい」のひと言なのだろうが、要するに私たちには「面倒くさい」の先へ進んでゆくような気力と余裕がないのである。

 休日が少ないことの不満というと、ゆっくり休めないとか遠出ができないなどといったことがまず挙げられると思うが、お味噌汁の豆腐のようなささやかな積み重ねも、本当にささやかだからこそじわじわ沁みる苦しさだ。それは、かけてもかけなくてもいい「ひと手間」をかけることができず、効率の外へ気楽に出ていくことができない不自由さのことである。

 逆に言えば、小さな「ひと手間」に時間を費やす選択や、普段は避ける「面倒くさい」に一歩踏み込んで始めるちょっとしたチャレンジは、私たちの貧しさを少しだけ豊かにしてくれるのではないかと思う。効率重視の生活を変えるわけにはいかない(というより無理だ)が、削り落とした無駄の中に豊かさのかけらが眠っていないか、たまの余裕のある日だけでも見つめ直していけたらいい。