日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

4月の家計簿、貯蓄について

1~4月の収支
PCを購入した1月だけ大変なことになっている

 去年の7月から個別株の売買をしている。最近ようやくコツというか、自分に合ったやり方が分かってきたようなこないような(わやわや)で、少額ではあるものの利益を出せるようになってきた。1月だけ空欄なのは単に取引をしていないからだ。月6千円のプラスを目標にしているので、1万円はむしろ勝ちすぎを疑っていいかもしれない。運が良かっただけという可能性も十分ある。慎重にいきたい。

 少しでも収入の足しになればと、たった50万(今年から60万に増やした)の種銭で飛び込んでしまった株の世界だが、今のところは楽しみながらやれている。時間をあまり取られないのも自分に合っていると思う。持ち株や気になる銘柄のチェックなどは毎朝しているが、扱える金額が極端に少ないせいもあり取引自体は月2~5回程度である。

 積立投資もやっている。家計簿ではいちおう支出として計算しているが、感覚としては先取り貯金に近い。毎月3万円がつみたてNISAの口座に引き落とされていくのをただ見守るのみである。こちらは2年半ほど続けている。老後の生活を支えてくれるはずだ。

 病気や事故などの「もしも」と老後のために、毎月、収入の30%を貯蓄に回すことにしている。積立の他に1万円程度の貯金ができればOK。月の生活費はだいたい8~10万円、多くても13万。なかなか厳しい金額である。もう少し緩めようか、という気持ちにならないでもないが、今のところはこのやり方で毎日楽しく生きられている。本や雑誌で文章を読み、ノートやブログに文章を書き、陽射しのよい街を歩いて、お気に入りのお店で美味しい物を口にする、私にとっての「楽しい人生」はどうやらそのようなものである。20年後もその先の人生も、かなう限り同じしあわせに触れていたいものだが、そのためには貯えが必要だ。

 「老後なんて遠い未来、貯蓄を使えずに死んでしまう可能性だってある。それなのに今、我慢をするなんて」という意見もあるらしいが、いつ死ぬか分からないのならば私は「私のためにやれることはやった」という納得をなるべく多く抱えて死にたい。どうやら近頃、「納得」というのが私のキーワードである。胃の腑に落ちるかどうかということだ。死の間際、お金をごくんと薬のように飲み込んで回復したりはできないが、その瞬間に押し寄せるに違いない後悔や恐怖の片隅で、「いろいろ及ばなかったがやれることはやった」という事実はたぶん、それでも私の血肉である。

 貯蓄は正義、などと言いたいわけではない。今現在やりたいことをストレスを抱えてまで我慢し貯蓄に臨むというのもおかしな話であるし、要はバランスの問題なのだろう。そのため(収支をコントロールするため)に家計簿を用いた節約生活が…というのは先日も書いたことだが。

 お花見などのイベントがあったため、食費と娯楽費(¥12,451)がやや多め。トータルよい結果が出せたと思う。4月も楽しかった。