日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

ナッツと自由のある暮らし

行きつけのカフェではじめてミックスナッツを頼んでみたら、いつも頼んでいる和紅茶とベストマッチだった。ミックスナッツはアルコール用のメニューなのだ、という先入観があったことに、先入観を超えたあとで気付かされる。こういうつまらない思い込みが、暮らしの中にまだ散らかっていないだろうか。それに、「いつもこうしている」が知らぬうちに「いつもこうするべきである」になってはいないか。この日々を、はじめてのナッツのように、なんの気なしに超えていけたら。

いつもの帰り道、渡り鳥

休日の楽しみは、カフェで本を読むことと、お風呂で本を読むことだ。私の場合、入浴とは読書のためにするものである。前から好きではあったが最近さらに好きになって、本や冷たい飲み物を持ち込んでは1時間以上(お湯がぬるくなるまで)湯船に浸かり、サウナのように汗をかき、ふやけている。もちろん紙もふやけてしまうので、図書館で借りた本は読めないのが難点だ。

先週は久しぶりに(具体的には5冊ぶりに)仏教から離れて、倫理学の入門書を開いていた。面白いが私には難しすぎたので、もっとやさしい入門書を探したいと思っている。倫理、学校で習った内容どころか習ったかどうかすら覚えていない。いっそ教科書を買ってみたらいいだろうか。

いや、とりあえずミルとか読むべきなのかな。自由(liberty)かあ。

 自由という概念の中心には「何をしてもいい」という不確定さがある。「汝の欲するところを行え」という格律の中には、すべてを呑み尽くす深淵のようなものがある。自由には、悪の許容という要素がある。他人に危害や迷惑をかけないなら何をしてもいいというのが、自由主義の中心にある考え方である。ここには積極的に何をすべきかということに、一言も触れまいとする覚悟がある。

勉強してから(しながら)また読み直そう。

それにしてもこれ、1週間ぶりのブログになってしまったのか。日記の形式にこだわるのを止めようかな、とぼんやり考えていたのだが、それはそれとしてさすがにもう少し書きに来たい。