日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

読書ノート(4)

5月の読了本、3冊目

 図書館にも家にも読みたい本はまだたくさんあるのに、ついついブックオフに足が向いてしまうし、帯付きでピカピカの岩波文庫があったら嬉しくて買ってしまう。本好きとはそういうものではないだろうか。たぶん。

 …たった今、kindle版が無料で読めるということに気付いて少しショックを受けている。べ、別に帯付きのピカピカ岩波文庫の方が強いし(?)…いやほんと、訳者のあとがきなんかもすごくよかったので実際、傷は浅いのである。そうだ、訳者の違いはかなり大きいのだ。kindle版もあとで読んでみなくては。楽しみだ。

 バッグの中に毎日必ず本が1冊収まるようになってから、そろそろ2年になるだろうか。いや3年か?すでに覚えていない。こういう大事なことをあっという間に忘れてしまうのだから、やはり読書の記録は私には必要なのだとしみじみ思う。

 読書をして何を考え感じたかというような、本の感想と同じくらい大事にしたいと思うのが、本との出会いが自分にとってどんな体験であったかということだ。なぜその本を手に取ったのか。読んだ時と読んだ後の自分は、いつどこでどんな風だったのか。そんな、本と自分の話を大事にしたい、かたちに残しておきたいと最近よく考えるようになった。このブログをはじめた理由である。

 上手く書けている気はまるでしないし、無理に言葉にしようとしていないかと不安になることもあるが、そんな揺らぎも含めた1冊1冊との出会いを、以前よりずいぶん大切にできるようになってきた。本という知らない世界や物語のことを、自分の問題として飲み込めるようになってきた。思うにどんな本も本当は、完全に他人事であることなどありはしないのだ。毎月たくさんの本を読むことは難しいとしても、自分事としての読書体験を少しづつ積み重ねていけたら、人生もっと楽しくなるのではないか、そうなったらいいなといつも思っている。

 それにしても、たった1,000文字を書くのにこんなに苦労をするのかと毎週唸らされるばかりである。昔ブログを書いていた頃はさすがにもう少しラクに文章にできていたはずだ。Twitterの140文字に慣れ切って長文を書かない時期が長くなりすぎたせいもありそうだが、おそらくブログに対するスタンスの違いがいちばん大きいだろう。自分の話をするのは私にはまだまだ難しいことである。どんな難しい本よりも自分のことが分からないのだから、おかしなものだ。あまりにも書けなくて思わず他人事のような顔をしそうになったら、この本を読んで身を引き締めることにしよう。めちゃくちゃ引き締まるに違いない。

 しかしこんなに口が悪い本を読んだのははじめてである!読みながらいっそ笑顔になるレベルで口が悪く、そこもやたらと面白かった。ヘーゲル先生に一体なんの恨みがあるというのか。バリバリの名指しで罵倒である。詳しく調べてみたいが、ヘーゲルの本か解説本を1冊読んでからにした方がより面白いだろうか。

 うん、楽しいな、読書。