日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

まずは元気で

ドえらい久しぶりのはてなだ。

いろいろあり、はてなやブログに限らず何かを読むこと自体から距離を置く日々が続いていた。書くことはほとんど毎日できていたので、読むのと書くのとではエネルギーの量や質や出入りの仕方なんかが違っているのだろう。メモ帳を開いてペンを走らせるのには息をする程度の力しか使っていないように思う。ブログでの読み書きもいつかそんな風に身体に染み付いていくだろうか。だとしたら面白い。

暮らしに大きな変化があると、変わっていないところまで一緒くたに揺さぶられてしまうようで、しっかり立っていなくてはと日々、油断なくいるつもりでも、いざとなればぐらぐらふらふら、精進の足りなさを思い知らされたこの数か月だった。

実家の父が倒れ、職場がざわつき、胃腸が荒れまくり尻から血が出た。酷めの胃腸炎は出血することもあるのだ。得たくなかった学びだ。

父は肝臓をやられたらしい。高齢ということもあり完治はしないのだそうだ。今は家で療養を続けているが、肉が削げて別人のように細った輪郭を見ると、いずれしなくてはならないと思っていた覚悟がずいぶん身近にも感じられ、やるせない。何より、父とふたりで暮らしている母のことを考えると石を飲んだように胸が重い。

そんなわけで、両親のために何ができるだろうかと悩む日々が続いていたのだが、今気をつけているのはむしろ二人を心に置きすぎないことである。私が難しい顔をしたからといって状況が簡単になるわけではないのだ。結局のところ、別の家に住んでいる人間にできることはあまりない。あまりないが、無ではない。それなら大事にすべきなのは、できることを、したいときに、できる自分でいることだ。本当にこの手が必要になったらすぐさま駆け付けられるように、心身健全健康でいる。内臓がうっかり出血なんかしないように、どっしり構えて生きていたい。

最近はもうかなり元気で、8月あたりから自然と本中心の生活に戻ってこれた。ただ、胃腸の調子が相変わらずいまいちなので、食生活を見直したり、市販の胃腸薬に頼ったりしてみている。ままならないことはたくさんあるが、ひとつひとつと前向きに付き合っていけるといい。で、そういうことを日々考えたり考えなかったりするためにも、ブログの読み書きをまた続けていきたいと思うのだった。