日々のあはい

貧乏人、本を読んで暮らす

読書メモ(1‐2)

読んでいる。

湧き上がる感情の、どこから起こりどこへ帰着するのかを子細に討究すること。その際、他者の理屈や説明を頼らず、自分の目と耳と心で「何ぞ」と尋ねることが肝要である。なんだか孤独な闘いのように思えてくるが、さてどうなのだろう。

禅は物我の差別を離れたるところより、物我の差別のいずる呼吸を悟るものなり。本来は吾人の経験界に物我なるものあらず、これありと見るは我に分別の理智を生じて以来のことなり。

そもそも自分とその他なんていう区別の仕方が後付けの理屈なのだから、まずはその世界観を手放さなくてはならないのだ。となれば、少なくとも禅を極めたところに孤独の心配はなさそうだ。そこには自分も他者もない/自分も他者もあるんだものな。

だいたい半分くらいまで読み進めたが、公案の話がまったくピンとこなくて参った。ていうか絶対読めてないやつ。ぐぬぬ