せめて背筋を伸ばして
明け方近くに悪夢を見た。仕事中はそんなことはすっかり忘れていたのだが、夜、メイクを落としているときにふと思い出して、私はまだこんなことを怖がっているのか、と夢の内容について考え込む。
置いていかれること、酷く混乱すること、その様を哀れに思われること。
諸行が無常であるのなら、私は常に、すでに、すべてから置いていかれているはずだ。ならば、深く傷つくようなことは何もない。風が吹くように水が流れるように全部、通り過ぎていく。そして置いていかれる私もまた、置いていく私である。私を置いていくものと私が置き去りにしてしまったものたちと、どう向き合っていけるだろうか。
先日、購入した赤ペン、フリクションのベルベッドレッド0.5㎜にすっかり惚れてしまって、とにかくなんでもいいから書きてえ!このペンを使いてえんだよ!の勢い。メモ帳に「夜・ちょっと足がだるい。」などと書いている。なんでもよすぎである。眠気まなこをこすりながらぐだぐだと書いた今月の自分の文章が、なかなかになかなかなことは分かっている。特にブログに残すものは、さすがにもうちっとこう、芯のようなものがあってよいというか、あって欲しいと思う。遅番のあとで疲労がピークの時に、何をどうしたら背筋を伸ばして書けるようになるのか。考えていく。
本日の読書、『禅と福音: 仏教とキリスト教の対話』。一神教は神と自分の一対一なところがやっぱいいよなと思った。周りにどうこう言われても、神に恥じない自分でさえあればいいのだもの。「自らを島とせよ」な仏教とはまた別の強さで、厳しさで、良さだと思う。