5月2週目は腰痛と読書
天気予報の予想最高気温が15度で風速が7メートル、小雨交じりの曇り空で遅番勤務……ならば夜の体感温度は10度以下、厚手のニットカーディガンにウインドブレーカーを重ねて羽織り、下は100デニールのレギンスが最適解とみたね(眼鏡をクイッと上げる仕草)。5月も半ばになろうというのに毎日やたらと冷える冷える。皆さん(寒い街にお住まいの同士たちは特に)風邪に気を付けてお過ごしください。ちなみに私の風邪はようやく治った。鼻水つらかった。
寒さのせいかどうかは分からないが、1週間前、久々にキツめの腰痛になった。背中と尻と、脚は膝まで痛みがあり、4日間はヨチヨチ歩きで出勤して周囲を困惑させていた。立ち仕事なのだが立っている姿勢がいちばん楽なので、働いている分にはあまり困らない。とはいえ不便だし心配はかけてしまうし、なにより休日に遠出できないのが悲しい。あと、行きつけの図書館の椅子が図書館なのに固くて座れない……いやこれは腰痛とか関係なく買い替えて欲しいとずっと前から思っている。そんなわけなので、休日もスーパーに買出しに行く以外はずっと、家で寝転がって本を読むかYouTubeを見るかしていた。
以前、実家の自室の本棚から気まぐれで回収したものをなんとなく読み進めている。20年以上積むだけ積んでいたせいで、汚れたり変色したりしており本に対して大変申し訳ない。
あれがもし、自分の待っている老人なら、顔を合わせ、一言こう言おう。
『私はあなたに殺されたイアン・パトリック・モーガンの息子だ』
だが、それを言う機会は遂に来なかった。傘の持ち主は見知らぬ老人だった。
男は今もなお、ぼたん雪でまだらになった黒い傘を見続けているような気がした。いや、永遠に見続けているだろう。まるでその中に自分の人生があったかのように。その傘が自分の人生であったかのように。
1992年、東京の冬の路上で、一人の男が謎の死を遂げた。ジャック・モーガン、元IRA(アイルランド共和軍)テロリストのこの青年が本作の主人公である。そして彼が生涯をかけて追い求めた白髪の東洋人スパイ、《リヴィエラ》が物語の主役である。《リヴィエラ》を巡って何か国もの組織が暗躍し、望むと望まざるとにかかわらず思惑は絡み合う。緊張感のある世界スケールの情報戦が、硬質で淡々とした筆致で語られていく、その巨大な流れの下に確かに流れる熱、愛、不意にこぼれだすような人間の感情、そのままならなさ……。
高村薫作品は『李歐』だけ読んだことがある(これも実家に置き去りになっている)。空虚を抱えて生きている主人公が、運命の男と出逢って、出逢った瞬間に人生がはじまって/終わってしまう話だった。わりと好物ではあるのだが、主人公の奥さんが可哀想すぎて、最終的な感想が「奥さん可哀想すぎる」になってしまったのをいちばんしっかり覚えている。再読したらさすがに全然違う感想になりそうだ(それはそれとして奥さんは可哀想だったよ)。
郷里というか、ある土地への親愛や憎悪や憐憫や夢想や、とてもひと言では言い表せない複雑な執着の想いが作品の根底を支えているであろうところ、ノーマン・シンクレアの色気は関わったらやべえ男のソレではないかと疑ってしまうところなどに『李歐』のかおりを感じつつ、現在上巻を半分くらいまで。大変面白い。でもジャック、冒頭で死んじゃってるんだよな……。もうかなり好きなので、なんとかならんか……の気持ちが湧く。つらい。なんともならん。
2冊目。なんと今まで読んでいなかった。『塩の道』で感動してからずっと読まねばと思い続けていたものを、ようやく購入。読み進めている。明治・大正・昭和を生きた人々の、暮らしの記録ではなく伝承、語りであることの魅力がすごい。老人たちにどのようにして会い、聞いたのかを書き留めた、旅の記録であるところも楽しい。著者が素晴らしい聞き手であるからこそ成り立っている本だと思う。まだ100ページくらい残ってるけど、今年のベスト。
YouTubeでは手帳関係の動画をよく見た。毎日、目標や雑記を書いていたノートを今日で1冊使い切るのだが、新しい手帳の使い方をやや悩んでいる。週末と月末にまとめのようなものを書きたくて、上手いやり方を探しているのだ。来月や来年に振り返りがしやすいよう、スッキリと記録したいがついつい書きすぎてしまいそう。相変わらず、紙にペンを走らせること自体が好きである。
見て考えて大事にする
ボーっとする時間が増えてしまって、意志の力だけではどうにもならなくなってきたので、数年ぶりに時間管理アプリ・ルーチンタイマーの力を頼ることにした。無料で無限にルーチンを設定できるだけでも大分ありがたいのだが、残り時間を音声で教えてくれるのが本当に大助かり。少しの間、背中を突っついてもらいながら規則正しい生活を目指していきたい。
ルーチンとそれにかかる時間とをひとつひとつリストに並べていくと、食後にYouTube巡りをはじめさえしなければ、ポイ活のついでにTwitterを開きさえしなければ、1日はこんなに長いのだなと日頃の怠惰を思い知る。私ときたらすぐに怠けるし、すぐに考えることを止めてしまう。無駄もぼんやりも必要なときがあるとは思うが、そればかりにならないためには可視化をする必要が(私の場合は)大いにある。時間・お金・食事はできるだけ振り返りがしやすいようにしておきたい。
いずれは読書の記録ももっと細かくつけられるようになりたいのだが、私はどうも本に関して書くということがいちばんの苦手らしい。そもそも文章が苦手じゃんというのはまあその、それはそうなんだけれども。今年は7冊(+青空文庫)の本と出会ったが、読書ノートの捗ってなさ加減を見るに、上手いこと付き合えたとはとても言えないなと思う。読書体験を大事にしたい、とこのブログをはじめたときからずっと思うだけで、ずっとヘタクソなままである。
今日は『自分をみつめる禅問答』『なぜこんなに生きにくいのか』を読む予定。めちゃくちゃ人生に悩んでる人っぽいチョイスになってしまったがそんなことはなくて元気。
1月の感想文
今年のいちばんの目標は1日1時間、本を読むこと。現状20~30分程度なので、かなりがんばらなくてはいけない。その上で映画などの映像作品や、小説やマンガにも触れていけたらいいのだが。と、思うだけなら去年からずっと思っているが……(がんばれ)。
今月の仏教本。曹洞宗の開祖・道元の思想哲学が記された未完の大著である。ついに読みはじめてしまった……な感。原文と現代語訳(と原文の註解)を行ったり来たり、照らし合わせながら読んでいるのでなかなか進まない。全8巻、いつ読み終わることやらだ。まあ、どう読んだところで一発で内容を理解するのは不可能なのだし、あまり構えずに楽しみたいと思う。覚悟はしていたものの、やはり難しい。『有時』はこれハイデガーやベルクソンみたいなことだよな……。全部の話が『洗浄』(トイレと爪をきれいにできない奴は何やってもダメという話)や『礼拝得髄』(女人禁制ってなんなの?ばかなの?という話)くらい分かりやすけりゃいいのだが。解説本も探しつつ、どうにか読み続けたい。
今月の小説。時代小説×探偵小説=捕物帳の嚆矢である。大正時代に書かれた小説で、全部で69篇もあるときいて長いこと尻込みをしていたが、実際に開いてみると文章にまったく古さがないし、完全に1話完結型かつ短いのでたいそう読みやすい。そして何より、全部、すごく、面白い。江戸の風景、風俗描写のなんて繊細さ、瑞々しさ。明治を生きる半七老人の昔語りも味わい深い。これをあと59篇も読めるのか……。
今月の映画。21日がお休みだったので、今年初映画館キメてきた。すごく贅沢な娯楽映画で大大大大大満足。物語の筋立ては非常にシンプルだが、ここぞという画の魅せ方、盛り上げ方がばっちりハマっていて大変に気持ちがよい。135分ある映画としてはたぶん台詞量が少なくて、互いの言葉よりも交わす剣や眼差しの間にそれぞれの人となりや関係性が見えてくる。そこに説得力を持たせるアクションの多彩さやロケーションの工夫が素晴らしかった。激推し。
今月のアマプラ映画。ケネス版ポアロシリーズである。オリエント急行は字幕版をすでに観終わっていたのでナイルとベネチアだけ視聴するつもりだったのだが、よし観るかとなったその日の天気があまりにもオリエント急行殺人事件日和(めちゃくちゃ雪降ってたの意)だったもんで。吹替版もよかった。ケネス版ポアロは事件を通してエルキュール・ポアロという人を描く構成がとてもよくて、ここまでポアロさん主役でやってくれるんなら絶対、最後の事件『カーテン』まで辿り着いて欲しい……の気持ちがシリーズを追うごとに高まる。次回作を永久に待つ。
今月のアマプラ映画その2&今月のTVアニメシリーズ。実は去年からちまちま観ていたサッカーアニメ『ブルーロック』である。スポーツものというかスポーツにはあまり惹かれないのだが、これくらい尖ったやつだと逆に楽しめてしまうようだ(『テニスの王子様』とか『黒子のバスケ』とかが好きなわけ)。『ブルーロック』がどう尖っているのかというと舞台設定がまず全力である。才能も未来もあるサッカー少年、それもストライカーだけを集めて、その中からたったひとり「世界一のストライカー」を生み出す代わりに、他のすべての脱落者から選手生命を奪い取るサッカーとデスゲームの欲張りセット、つまりはストライカー蟲毒。このストライカー「だけ」というところと、ただ強くなるのではなく世界の頂点オンリーワンをとりにいく、というのは難しいんじゃないのかと最初はちょっとナメてかかっていたのだが、まったくブレないのがえらいし、パッと見の印象よりずっと真面目な作品だと思う。どのようにして「この俺が」点を奪いにいくかと考えるとき、筋道はいつもロジカルで、何より他者の存在を前提としているところに嘘がない。「俺が」いるということは、絶対的に「お前が」いるということだからだ。
長くなったので、今日はこのへんで。
せめて背筋を伸ばして
明け方近くに悪夢を見た。仕事中はそんなことはすっかり忘れていたのだが、夜、メイクを落としているときにふと思い出して、私はまだこんなことを怖がっているのか、と夢の内容について考え込む。
置いていかれること、酷く混乱すること、その様を哀れに思われること。
諸行が無常であるのなら、私は常に、すでに、すべてから置いていかれているはずだ。ならば、深く傷つくようなことは何もない。風が吹くように水が流れるように全部、通り過ぎていく。そして置いていかれる私もまた、置いていく私である。私を置いていくものと私が置き去りにしてしまったものたちと、どう向き合っていけるだろうか。
先日、購入した赤ペン、フリクションのベルベッドレッド0.5㎜にすっかり惚れてしまって、とにかくなんでもいいから書きてえ!このペンを使いてえんだよ!の勢い。メモ帳に「夜・ちょっと足がだるい。」などと書いている。なんでもよすぎである。眠気まなこをこすりながらぐだぐだと書いた今月の自分の文章が、なかなかになかなかなことは分かっている。特にブログに残すものは、さすがにもうちっとこう、芯のようなものがあってよいというか、あって欲しいと思う。遅番のあとで疲労がピークの時に、何をどうしたら背筋を伸ばして書けるようになるのか。考えていく。
本日の読書、『禅と福音: 仏教とキリスト教の対話』。一神教は神と自分の一対一なところがやっぱいいよなと思った。周りにどうこう言われても、神に恥じない自分でさえあればいいのだもの。「自らを島とせよ」な仏教とはまた別の強さで、厳しさで、良さだと思う。
おやつタイムと禅と善
気まぐれにAmazonで買ったミックスナッツが美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまうのをそろそろ戒めねばならない。でもおいし~。アーモンドがかなり多め。次がクルミ。カシューナッツは少な目。マカダミアナッツ入りが嬉しい。ひと袋を3日かけて食べるのが理想……と思いつつ半分以上、空けてしまう。食べ過ぎると消化不良を起こしたりするらしいので、本当に気を付けないと。
最近の間食はこのミックスナッツと、明治のチョコレートBOXから2~3枚、あとはポテコにはまっている。ポテコの安さに助けられている。意外に食べ応えがあるのもよい。
お菓子の値上がりぶりもすごいことになってしまったなあ。少しずつ食べる量を減らしていってはいるが、完全に絶つということはおそらくないので、給料が爆上がりしてくれることを日々願っている。値上げをするなとは言わないから値上げ分の金くださいという気持ち。頼むよほんとによ。
今日から読みはじめた。対談形式の本のするする読める加減、なんなんだろな。超読みやすい。
ところで、冒頭1行目から出てくる『善の根拠』は、私にとってははじまりの1冊である。
これが面白かったのをきっかけに仏教の本を読みはじめて、今もずっと読んでいる。図書館で借りたあと買ってあるので、そのうちイチから再読したい(気になるところだけ読み直したりはしている)。
業をみつめて
昨夜なかなか寝付けなくて、ようやく意識を手放せたと思ったらなぜか4時に目が覚めるし、そこからまた眠ったような眠れないような具合で6時半に起床。昨日といい睡眠の質がとても悪い。急な寒さに身体がびっくりでもしているだろうか。今夜こそは。
お尻から脚の付け根あたりに痛みがあり、起き抜けに湿布を貼った。一昨日くらいからじんわり気になっていたのだが、なかなか治ってくれない。怖いな。毎朝毎晩、自分の身体にお伺いをたてないとやっていけない40代。
今日もお休みだったので、オープンしたての定食屋さんへランチを食べに行ってきた。ボリュームたっぷりのからあげ定食に舌鼓。880円だったが、1,200円くらいでも喜んで払う内容。付け合せのサラダやお惣菜にもひと工夫が見られ、盛りだくさんな内容で美味い上に楽しかった。外食制限しようかな、なんて最近、書いたような気もするが、こういうことがあるとまあ揺らぐわな。うーん。応援したい気持ちもあるし、このお店にはしばらく通うとは思う。
行きつけのカフェにも寄ってコーヒーで一服、30分ほど本を開いてから早めに帰宅した。そしてまた本を開く。
読了。読み応えあったなあ。諸行無常は縁起を時間的な側面から説明するもので、諸法無我は空間的である。また、原始仏教における業が時間的縁起である(過去の自分という業を縁に今の自分が存在する、と考える)のに対し、大乗は空間的縁起である。なるほど。
それでタイトル(業とはなんぞや)だが、
……仏典のあちこちで「多くの例外適用例が存在する」という事実から出発すれば、「業を普遍的法則や客観的事実とみなすことはできない」、換言すれば「仏教の業思想は主観的事実(私にとってのみ意味のある事実)と理解すべきである」という結論に至る。……
業思想は、出家者であれ在家者であれ、現実の苦を克服するために編みだされた理論であり、人間の行為すべてを普遍的に説明しつくす客観的法則として考えだされたわけではない。
やっぱそうなるのか。当人の受け止め方の問題であって、万人に共通する宇宙の真理みたいなやつではないわけね。
現在の「自己」の実存が、その時点での既知未知にかかわらず、当人に責任のある行為、あるいは当人に責任のない事柄によって規定・拘束されている事実を自覚し反省して、ついに決断とともにこの事実を「自己」の実存条件として引き受けるとき、「自己」実存は「業」として認識される。すなわち、「業」とは「業」の自覚のことであり、この自覚がない限り、「業」は無意味であり、端的に「ない」。
ないってわけね。やっと腹落ちしたかも。
突然の冬
寒い!!信じられない寒さ……!!服選びを完全に間違えて、通勤中はスカートの脚が冷蔵庫の中にでも入っているかのようだった。紅葉だってまだなのに、いきなり冬の空気にならないでくれ。明日も冷え込むらしいし、この急激な気温の変化で紅葉は一気に進みそうだな。楽しみだ。それはそれとして、もっとこう、少しずつ寒くなっていって欲しい。
体調がやばいことになるだろうと覚悟をしていたのだが、思っていたほど悪くない。時間を作ることもできたので、予定にはなかったが期日前投票に行ったり、日記やメモ帳に使うペンの替え芯を買いに行ったりなどできた。黒の他に赤青緑の3色を愛用しているのだが、いつも赤色がしっくりこない。今回はフリクションのベルベッドレッドとやらを買ってみた。明日、使うのが楽しみだ。相変わらず紙の日記が好きで、油断するといらん文房具まで買ってしまいそうになる。そろそろシールも欲しいが、今月の家計簿〆まであと1週間、できればもうお金を使いたくない。今日のように楽天ポイントを頼るか、来月まで我慢するか。ううむ。たかが100~200円くらいの出費でいつもこんな風に悩んでいる。
そろそろ来年の家計簿を組みたいので、目標の貯蓄額まであといくらか、あと何年か、などを計算した。今の調子で生活していけたらあと2~3年で達成できそうだが、うーん悩ましい。さっさと目標額まで貯めてしまった方が後々気が楽なのは間違いないが、もう少し自由に使えるお金があってもいいのではないか。
読書は今日も『<業>とは何か: 行為と道徳の仏教思想史 』。たとえば悪業を5つと善業を4つ為した者がいたとして、差し引きで悪業がひとつになる、などということはあり得ず、5の悪業には5の、4の善業には4の果報がきっちりと現れる。部派によって多少の違いはあるが、基本的には業は不可避かつ不相殺である、ということらしい。厳しいわねえ。














